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憤(ふん)の一字

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井原隆一氏の心に響く言葉より…


「憤(ふん)の一字は、これ進学の機関なり。

舜何人(しゅんなんぴと)ぞや、予(われ)何人ぞやとは、まさにこれ憤なり」


発憤するということは、学問を勧めるためには最も肝要なことである。

孔子の最高の弟子といわれた顔淵(がんえん)が舜(中国古代、理想の帝王といわれた聖人)も自分も同じ人間ではないか。

なろうという志さえ立てれば舜のような人間になれる、といったのも、まさに発憤ということになる。


中国の昔、陳勝(ちんしょう)という男がいた。

彼は人に雇われて百姓をしていた。

ある日、耕すのをやめて同僚に話した。

自分が将来、富貴の身になっても相変わらず、つき合うことにしよう、と言った。

人々が、一握りの土もないくせに、金持ちや、身分の高い人間になれるものかと笑った。


そのとき陳勝が言った文句が「燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らん」。

すなわち、「燕や雀のような小さい鳥に、コウノトリや、ハクチョウのような大きな鳥の志がわかるものか」といったのだ。


後に彼は、同志900人と共に強国秦に反旗をひるがえしている。

そのとき同志に向かって告げたのが「王侯将相いずくんぞ種あらんや」。

つまり、国王、大名、将軍、宰相も同じ人間、努力すれば誰でも何にでもなれるのだ、と。


かつて私は、単身、創業し成功した人、40人ほどと対談したことがある。

いずれも、発憤の動機といえる話を聞くことができたが、その多くは“恥”を原動力としている向きが多かった。

己の恥を知ることが発憤の動機になっている。

学歴のないこと、事業に失敗したこと、資金に乏しいことなど、人それぞれ違っていたが、多くが自分の足らないことを動機としている。

『「言志四録」を読む』プレジデント社



江戸末期の大儒学者・佐藤一斎が書いた「言志四録」は、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛らが「座右の書」とした究極の人生指南書だ。


「発憤」という言葉が死語のようになって久しい。

一寸先が見えない動乱の時代には、「野生の感性」が必要となる。

戦争、病気、貧困、飢え、と言った死と直結する究極の状況と向き合わなければならないからだ。

追いつめられ、崖っぷちに立たされたとき、多くはそれが発憤の動機となる。

しかし、現代のように豊かで過保護な社会においては、ギラギラした「野生の感性」は鈍ってしまう。

ぬるま湯に浸(つ)かった危機感の薄い人間が、発憤することはない。


発憤する人は、「なにくそ、負けてたまるか」という、狂にも似た激情を持っている。

それは、「気迫」であり、「闘志」であり、「狂気」と言ってもいい。

ここぞ、というときには、「憤の一字」が必要だ。
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